下鴨神社について

式年遷宮について

式年遷宮について

式年遷宮とは?

式年遷宮とは、一定年限で社殿を造り替えることです。すでに平安時代中ごろ「鴨社正遷宮也、当社廿年一度…定例也」と史書『百錬抄』にしるされ長元9年(1036)を第1回として式年遷宮の制度が確立しました。しかし21年一度の制は在るべき姿ではありましたが年表のとおり30年、50年に及ぶこともありました。
戦乱や飢饉、災害の起こった時など延期のやむなきにいたったものです。しかしながら中世から近世、そして近代、現代と年はふり時代は変わろうども、国難を乗り越え常に支障なきよう社殿はお守りされてきました。いつも神様に御不自由をかけまい、その思いを制度化したのが、今の21年一度の式年遷宮なのです。
本来の式年遷宮は、ご神体を除く全ての建物を新しくするための宮移しです。しかし本殿2棟は国宝、社殿53棟は重要文化財といずれも日本の宝物、全てを新しくすることはできません。現在は傷んだところを直す、というのが基本方針。つまり21年ごとに修理のため宮移しをするのが現在の式年遷宮です。

式年遷宮

賀茂御祖神社の創始は古く、太古に遡ります。神社境内の糺の森から縄文時代の祭祀遺跡や旧境内から集落など発掘されました。『日本書記」神武天皇2年(BC658)2月の条に御祭神の伝承がみられ、綏靖天皇の御代(BC580頃)に、現在の御蔭祭の始源である御生神事がはじまったとの所伝があります。

社殿が造営された最初の記録は、崇神天皇の7年(BC90)瑞垣を造替したとの記述です。それ以降、奈良時代以前に幾度も社殿が造替されたとの記録がみられ、白鳳6年(677)には山背国司に命じられて造営が行われ、この時から板葺や茅葺の社殿を桧皮葺と瓦葺にかえたとあります。
欽明天皇5年(544年)にはじまった賀茂祭(京都の3大祭の1つ、通称葵祭)は、当時まつりといえば賀茂祭をさしたほど隆盛を極めました。
平安遷都(794)以降は皇都である京都の総鎮護として山城国一ノ宮となり、皇女が賀茂斎王として神社に奉仕する賀茂斎院の制度が定められるなど朝廷の尊崇厚く、国家国民の安泰を祈願する神社でありました。このことは明治以降も変わらず、官幣大社の筆頭として全国の神社の首位におかれ、このような歴史によって社殿と境内が国指定の文化財となり、平成6年(1994)世界の文化財として世界文化遺産に登録されています。

宮造りは森づくりから

森のない社は無い、と言ってもよいくらい神社に森はつきものだ。糺の森、―考えてみれば怖い名前である。物事を質すのタダス。たとえば『新古今和歌集』に偽りを糺の森のゆふたすきかけつつちかえわれを思はば>と詠まれています。よく神社の木を切るとバチが当たる、といいます。そうした神のおわします森への敬度な思いが、木を守り、森を守ったといえます。守ったのはわれわれ人間ではなく、神々であるといえましょう。その結果が平安京以前、京都開拓以前の植生を守ったのです。こうした糺の森に包まれて鴨の神々はおびただしい社殿群に鎮座しておられるのです。

世界遺産登録

世界文化遺産―賀茂御祖神社
平成6年(1994)12月25日、この日当神社が正式に世界文化遺産として、ユネスコに登録された。国宝、重要文化財、特別史跡と日本の宝であったが、さらに世界的に保護されるベき遺産と認められたことになろう。

日本で5番目の登録

日本で1番最初の世界遺産は法隆寺。わが賀茂御祖神社をふくむ《古都京都の古文化財)は5番目でした。京都は文化財の宝車、しかし多過ぎるため17ヶ所が厳選され寺13、神社3、城1の内訳でした。ちなみに神社は賀茂御祖神社、賀茂別雷神社、宇治上神社の3社でした。

下鴨神社は文化遺産だけ?

自然遺産は?
賀茂御祖神社の境内を<糺の森>と称し、京都市内唯一の自然の森で、京都開拓以前の古代山背の原生林の面影を伝える貴重な森です。しかしユネスコには文化遺産《京都市の古文化財≫として登録されました。全部で17カ所が文化遺産として一括登録されたため、当神社の糺の森は自然遺産の要素もきわめて多いのですが、文化選産に含まれました。

科学のメス

森の再生事業
森林生態学の権威四手井綱英博士は30年前、スニーカーにナッパ服姿で糺の森に足を踏み入れました。60余年前、すぐ近くの中学、そして京大農学部で学ばれた頃からの周知の森でした。
芦尾の森、また世界の自然林をフィールドワークの眼で見た、久しぶりの糺の森。バンカラだった学生時代の追憶に浸る前に、四手井博士はこの森は弱っている、と直感。水の失われた川跡、踏み荒らされた土壌。
それだけではない。何と木立の間に、あるある空き缶、テレビ、冷蔵車、おびただしい相大ゴミ…。ため息の出る光景でした。森に好いわけがない。しかしまだ見込みがある。神社の要請を受けた博士の研究チームによる古代の森再生事業が始まった。

全ての樹木がコンピュータ入力された

京都府の「緑の基金」を得て京大の森本幸裕先生が平成3年に糺の森を調査。直径10センチ以上の樹木は56種、3449本あった。驚くべきデータであった。アラカシ・榎・ムク・ケヤキ・紅葉など落葉樹林、つまり暗い鎮守の森とは違い、明るい神の森であることが判明した。まさに人ではなく神が守った古代の森であった。

成功した「寄せ植え法」

糺の森が踏み荒らされ枯渇している―この問題点が判明した。まず土壌改良、枯れ川に水を復活。昭和55年発足した糺の森顕彰会は市民参加の植樹運動を展開した。それでも根付かない枝木。採用されたのが1m四方に杭を打ち、その中に10本ほどの若枝を植え生命力の強いものだけを伸ばすという方法。
成功だった。年を重ねる毎に若木が残り、中には成木の寄付者もあらわれ空き地に樹木が根付いた。

なぜ21年に一度?

伝承
平安時代は造営で一番恵まれた時代でした。恒武天皇が人心を一新するため平安遷都を断行されました。賀茂両社は元々地方の社でしたが、王城鎮護の社として山城国の人々はもちろん、行幸、関白賀茂詣など受けるようになり、これに見合った社として規模が大きくなりました。さらに立派に常に新しく…。古代建築の最高の素材とされる桧皮は20年あまり、白木も朽損せずきれいなのは同じくらいです。神宝、神服などの技術伝承にも適当と思われます。

具体的に何を行うか?

修理
まず桧皮葺(ひわだぶき)の屋根葺き替えです。70棟に及ぶ屋根の葺き替えの桧皮は膨大な量になります。また寿命が3~40年ですから、未来永劫にわたって葺き替えは無くならないことになります。銅版あるいは新素材で葺くことも可能です。しかし、伝統建築の最高の素材として、古来より神社をはじめとする建物に用いてきました。ほか社殿の飾り金具、漆の傷んだ部分、はげた彩色部分の修理、たとえば神様を守護する獅子、狛犬の修理などです。このほか神様の御生活品や衣装・装束―これらを御神服・御神宝と称します―も修理、もしくは一部新調されます。

シンボルマーク

いのちのちから あらたに
気の遠くなるような時間の集積からなる糺の森。古代からの数多の神々・精霊の存在を感じる、たおやかで、柔らかにして、凛とした空気感。鴨川と、糺の森を清らかに流れる小川。氏人達をはじめ、この土地を訪れ、神游の庭で神々と出会った数多の人々のエネルギーの痕跡…
豊かな自然に囲まれた賀茂御祖神社は、生命力=“いのち”を直接的かつ身近に感じる事のできる場です。鴨神道独自の信仰として賀茂御祖神社に伝承される、あらゆる生命を生み出す力、生命の根源のあらわれである“御生(みあれ)”の思想において、社殿の老朽化は穢れを意味します。
それらを新しくすることで神の生命力を活性化する祭儀である式年遷宮をシンボルマーク化するにあたり、よどみなく流れる生命力=“いのち”をテーマとし、それをビジュアル化する過程において、世界文化遺産である賀茂御祖神社の式年遷宮に相応しい品格を感じさせると同時に、賀茂社の特徴である有機的で柔らかな生命感・空気感を表現することを目指しました。

いのちのちからあらたに。
森羅万象、全ての生命を生み出す力“御生”社殿を新しく、清らかにすることで神の力をよみがえらせ活性化する式年遷宮。
このキャッチフレーズは、“御生”の思想と式年遷宮の意義を、平易な言葉でシンプルに表現しています。ひらがなのみで表現することによって、見た目にも、柔らかく親しみやすいフレーズになっています。また、発音した時の響き、語呂の良さも考慮し、おぼえ易いフレーズに仕上げました。

悠久の時間・歴史の“ながれ”、四季折々に清らかで凛として、社殿を柔らかく包み込む空気の“ながれ”このマークは、そうした“いのちのながれ”を表した4本の有機的なラインと、この世に生み

制作者プロフィール

坪内 成晃

京都精華大学デザイン学部ビジュアルデザイン学科教授・ビジュアルデザイン学科長。京都出身。京都市美術大学デザイン学科卒業。

京都精華短期創立時より教員としてビジュアルデザイン教育に携わり現在に至る。主なデザイン制作、ポスター・舞台デザインに「ロックフェスティバルMOJOWEST」「大駱鴕館アリアドーネ」、装丁に「ブレヴェール詩集」「未刊行著作集」など多数。著書にビジュアル本「THE BOSOZOQU」など

制作者プロフィール

川添 貴

京都精華大学デザイン学部ビジュアルデザイン学科准教授/グラフィックデザイナー・アートディレクター京都出身。京都精華大学卒ビジュアルデザイン学科卒。

1989年株式会社アーツ入社。平行してフリーランス・インストレーターとして活動、瀬戸内寂聴氏に依頼により季刊誌フェミナの表紙イラストを一年間手掛けた他、三菱化成新聞広告、ロッキン・オン・ジャパン等でイラストを手掛ける。1990年より清水正巳デザイン事務所(東京・南青山)にてビブレ・パルコ・トヨタ・日産・日野・ダイハツ・セイコー・ルキア・アルバ、サッポロビール・資生堂・ソニー・日立・三菱電機・オンワード・ルベル・コスメティックス・昭和シェル・サティ等多数のキャンペン広告、(新聞・雑誌広告・ポスター・ビルボード・パンフレット・ロゴタイプ・パッケージ等を含む)のデザイン、[Cut][Esquire][anan]等のエディトリアルデザインに携わる。2000年単身渡米、ニューヨークに在住。2001年よりLittlefleld&Company(NY)在籍。帰国後、フリーランスとして活動。六本木ヒルズ公式ガイドブック、Mick Rock写真展“Rock’n Roll Eyes(東京写真美術館) YahocBBオリンピックキャンペーン、東京建物、ワーナー、ブラザース等のアートディレクションを手掛ける。第9回日本グラフィック展奨励賞、第43回ザ・チョイス入選・第10回日本グラフィック展入選、第8回JACA日本イラストレーション展準入選、第9回JACA日本イラストレーション展特別賞等受賞

式年遷宮奉祝事業について

式年遷宮奉祝事業について

式年遷宮奉祝パレード 平成26年4月27日

第34回式年遷宮をあと1年となった4月27日、「式年遷宮」を奉祝するパレードを行いました。
京都府立北稜高校のマーチングバンドが演奏する行進曲に乗せて儀装馬車、騎馬隊、そして提灯を手にした市民、龍谷大学のよさこい踊り総勢500名が都大路を練り歩き、1年後に迫った式年遷宮を伝え、奉祝気分を盛り上げました。ご協力いただきました皆様有難うございました。

式年遷宮奉祝パレード 平成26年4月27日

お白石持神事

「お白石」は神社本殿の御垣内に敷き詰められている白く清らかな石のこと。
遷宮ごとにこの石も新しく敷き詰め直すのが伝統です。その石を禁足の場である本殿御垣内に敷き詰める行事を「お白石持神事」と呼びます。来年4月に正遷宮を控えた下鴨神社では、本殿修復のため5万個にも及ぶ御垣内の白石を拾い集めて運び出す「石拾神事」をすでに昨年の6月に行いましたが「お白石持神事」はそれを元にお戻しする神事です。お祓いを済ませた白石を積み上げた糺の森の石置き場から白布に包んで御本殿前にお納めし、21年後の次の遷宮まで本殿御垣内に敷き詰められ、神域を清めます。この神事には多くの方々にご奉仕いただき、次回は11月の予定です。21年に一度のこの機会に、是非ご奉賛いただきますよう、お願いいたします。

お白石持神事

ラッピングバスの運行 平成26年4月27日より平成27年4月26日逸

この度の下鴨神社第34回式年遷宮のことを広く一般の方々にも知っていただくため、そしてその奉祝の気運を盛り上げるため、ラッピングバス(市バスのボディーを媒体として告知内容を描いたバス)を運行。「下鴨神社の式年遷宮」をお知らせするバスが市内を巡ります。

ラッピングバスの運行 成26年4月27日より平成27年4月26日逸

蹴鞠奉納とW杯必勝祈願

去る5月31日、6月にブラジルで開催されたW杯(サッカー・ワールドカップ)での日本代表の必勝祈願のため、元日本代表の中田英寿さんが蹴鞠装束に烏帽子姿で威儀を正して下鴨神社を参拝。神前で日本代表の必勝祈願をした後、南鳥居前で奉納された蹴鞠を観覧しました。
下鴨神社で五月に蹴鞠会が開催されたのは異例のことですが、中田さんが大会期間中にサンパウロで開く「nakata.netCafe 2014」にお祀りする下鴨神社の神棚と鹿皮で作られた蹴鞠の鞠、W杯必勝祈願の1000個の「カチマル守り」、応援メッセージが書かれた横断幕を中田さんに託したもの。
保存会会長から中田さんに鞠が手渡された時、この日招待された氏子地域のサッカー少年たちから「ヒデさん、蹴ってください!」の声。「僕は蹴鞠は素人ですから…」と、中田さんは少年たちに笑顔で答えます。下鴨神社の祭神・賀茂建角身命は「八咫烏」に化身して神武天皇の東征の道案内をしたことで知られる大神で、八咫烏は三本の足をもった異能の鳥。日本サッカー協会のマークにもなっています。その八咫烏が刺繍された「必勝祈願・カチマル守り」をサポーターたち一人ひとりの思いと共に応援してほしいとの願いをこめたこの下鴨神社のお守りがサンパウロのナカタカフェでサポーターたちに配られました。