またまた間延びしてしまいました。葵祭のことはこれきりにして次回から、鴨の正月について話題にしたいと思います。
ほとんどの神社は、おさがりを「神饌」と、袋や箱に記していますが、よくよく考えれば「神饌」とは、神さんに御供えすることです。神さんから戴く意味ではありません。かつて「ごぜん」と、呼んでいた時代があります。これとて、いま一つうなずきがたいことです。
当神社では、古い時代から「神餕」と、呼んでいます。神さんのあまり物とか、くだされ物と氏人たちは言い伝えていました。
現在の葵祭の御供えで、お菓子類は、初献と言って最初に捧げる神饌のなかにブトと言うギョウザのような形の揚げ物のお菓子とウドンの元祖とされているマガリと言う唐菓子の二種類と最後に御供えする後献に、和菓子が四種スハマ、オコシ、フキアゲ、カチクリを御供えします。
このお菓子類のなかから「神餕」が選ばれています。と言うのも、葵祭は、創祀とされているのが、『本朝月令』などの史料によると欽明天皇五年(五四五)ごろとありますが、突然祭り創められたわけではなく、『御祖神社御事歴明細帳』などによれば、先に御生神事(みあれしんじ)と言う御祭があり、その神事が展開したとされています。さらに崇神天皇七年(紀元前九〇年ごろ)御本宮の神地瑞籬の御遷宮が創められたとの記録があり、その当時の祭事の御供えは、人々の主食は、お米であり古墳等の出土遺物からみて神さんも人々の食べるものが御供であり、お供え物が人々の食べるものでした。それで神さんのあまり物、「神餕」と名つけられた、と思われます。古代の御供えの「ふきあげ」が原初ころの一品、と思われます。
作り方は、お米を一晩か二晩、水に漬けておき、モミガラを取り除いて麻布でしぼるか、細かい目のミでこすかしてシトギにします。当初は、シトギをモチのようにして丸め火にあぶってダンキにしていたのではないか、とおもわれますが鎌倉時代になると油料理の技が発し、シトギを油に垂らして自然な玉とし、お祭が終ると玉を神魂として人々に分け、御神威をいただくことが恒例化したのが「ふきあげ」をおさがりとした原初と、思われます。
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