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今年の葵祭 2―葵祭や御蔭祭の奏楽―陪従(べいじゅ)と楽人(かぐらびと)

今年も新型コロナという疫病の蔓延防止のため、五月三日の流鏑馬神事、十二日の御蔭祭の切芝神事(きりしばしんじ)と、十五日の葵祭の「社頭の儀」の東游(あずまあそび)、走馬の儀は、略されました。

このうち、略儀となった御蔭祭の切芝神事の東游と還立(かんりゅう)の儀の三台塩(さんだいえん)(三代詠)について述べておきましょう。というのも、かつては、陪従は、国ぶりの音楽である東游を奏して、舞う、楽人は、外来音楽を主とする雅楽の曲・三台塩(三代詠)を演奏するとの持分けがあったからです。

そもそも、陪従と楽人とは、どのような違いがあるのか、から説明しなければなりません。

両方とも音楽の奉仕のないとき、常の職場は、陪従は、武官ですから警固にあたり刀禰庁舎に勤務していました。楽人は、お供え物を調理したり材料を調達したりする御厨(御供えの調理の他、地方の社領地の管理などもありました)の人たちで供御所に勤めていました。

切芝神事とは、糺の森を磐座(いわくら・神の鎮まる所のこと)とされているそのなかの一角を開いて祭の場を設け御祭をすること。先ず、神奈備(かむなひ・神の鎮座する所のこと)に御神霊をお迎えする神事の古代祭祀です。常は、祝詞(のっと)によって、お祭や御祈願のことなどを申しますが、古代は、歌謡によって、のる→のっと、として神に申し上げる詞を述べました。のっと、を歌謡として、さらに舞うことによって人々の安寧の祈願を東游という曲に託されました。

宇多天皇の御世を記録した『寛平御記』寛平元年(八八九)十一月二十一日の記録に、従三位参議藤原時平を勅使として当神社に遣わされ御祭をされ、古代から伝承してきた歌謡、東游、を奏されたとあり、以降、恒例の神事歌謡として葵祭と御蔭祭に奏されるようになりました。

鴨の氏人たちは、御祭神の賀茂健角身命は、東方から船に乗って西方へ御出になり糺の森に御鎮まれたと来歴を伝承してきた故事を謳いました。延喜二十年(九二〇)、左大臣源雅信は、三十六歌仙の一人で従四位上右衛督藤原敏行が詠んだ「鴨の社」を二段目として作曲作舞した曲を天慶二年(九三九)四月二十五日、朱雀天皇が行幸親拝され平将門の乱の平定を祈願されたとき、この二曲を併せ「東游」として奉奏されるようになりました。

神馬の御祭神の神前で長老から陪従が「神琴」を授かる作法がおこなわれます。何を意味するのか、といえば御神宝の和琴を陪従に預けることによって、御祭神の世(代)を継ぐ、と云うことで「みあれ」された新らしい御神霊に御披露し御神威を一層強めて継いでいただくように氏人の願いを表していると云っています。またこの和琴は、「夕霧」という古来からの銘品の御神宝です。ところが、応仁・文明の乱の兵火によって焼失したので文明四年(一四七二)四月、後土御門天皇より御下賜になりました。葵祭の御和琴「河霧」と兄弟となる銘品です。

ついで古い次第書によれば、「還立」(かんりゅう)です。まず「楽人、立楽」(かぐらびと、りゅうがく)とあります。御祭神の神馬の御前で「三代詠」(三台塩)が奏されます。ここでまた、御祭神の来歴が歌謡によって述べられます。鴨氏・三代とは、神魂尊(かんだまのみこと)、賀茂健角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)のことと氏人たちは言い伝えてきました。三代の神々を物語ることによって一層力強い生命力をいただこうとしたのでした。

少し、長くなりますので、以降は次号で



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