宮司の挨拶

烏の縄手 2

R4-11-06 / 274話

―神さんの声を聞きに行く参道

                   宮司 新木 直人

 またまた、間があいてしまいましたが、今回も前回の続きです。カラスのナワテ、とは、糺(ただす)の森の木々の間を縫うように、縄のような細く長く曲がりくねった小径。まるで、人生のような参道をたどって神さんの声をたよっていく細径と案内しました。

 その時、何を御供えしたらよいか、よくおたずねがあります。神さんや仏さんにお祈りする心を物にたとえて差し上げることと伝えられているので、人にとって、一番だいじな物、一番大切な物、といえば、古代は、命のもとである食べる物―お米でした。そのお米は神さんの依しろでもありました。現在は、お米にかぎらずお金であったり、魚や鳥など、野菜、果物、様々です。

お祈りをし、御供えをすると、おさがり、としていただくのもご神威の籠ったお米でした。ときには、ご飯です。平安時代までは、ご飯といえば、炊飯したご飯を水にさらし、蒸したものをご飯と呼ばれていました。今で言うイイ、です。現在のように炊飯したご飯は、お粥でした。神さんに御供えするのは、炊きあがる寸前、まだ、グツグツと、煮たっている「初飯」を一すくいしたのを御供えしました。「おぶくさん」とか「おはつさん」と呼ばれています。それは、シトギにちかいからです。古代の米食は、固い籾(もみ)に包まれたままのコメでしたから、一晩、水につけておき、スリコギでついたものをたべていました。神さんの御供えも同じでした。現在のオセンマイは、その名残です。また、一夜酒もシトギから造られていましたのでシトギ酒ともよばれていました。

おさがり、は、時代がたつと、様々加工されたり、干した魚介類や薬草を添えるなど工夫され、変遷をたどりました。その点、下鴨神社は、ほとんど昔のまま、牛の舌もち、とか、フキアゲ、スハマ、など変わりありません。