宮司の挨拶

明治天皇御製

R1-04-19 / 245話

   日照りにも 涸れずとぞ聞く 神垣の

               御手洗川は 細くみゆれど

 嘉永六年(1854)(安政元年)四月六日、京洛の大火により内裏が類焼しました。

 明治天皇の幼名・祐宮、御歳二歳のときでした。孝明天皇をはじめ皇族の方々は、一時的に当神社の細殿御所へ御避難されました。

細殿御所のお庭は、桔梗が群生するお庭でした。四月は、まだ少しつぼみは固い時期でしたが、十分楽しんでいただいたようでした。細殿御所の前は、御手洗川の流れがあり、反橋(そりはし)の東側は桜、西側は梅と絵屏風に描かれている名所でもあります。様々名歌に詠まれた名所でもありまた、伝承の地でもあります。なかでも知られているのは、御手洗団子の発祥の地でしょう。御手洗の池の底から湧き出る水がアワのように見えるさまになぞって団子にみたてたとの伝承のあるみたらし団子です。実際は、夏の土用のお祭りの御供えの団子がひろく知られるようになり、これをいただくと無病息災になるとの御神徳が有名になりました。

 頭書の御製もまた鴨の七不思議の一つとしてよく知られています。ほんの少し下流の楢刀自神(ならとじのかみ)をまつる無社殿神地・奈良殿社神地(ならどののかみのいわくら)舩島の祈雨神事や卯の花神事などがおこなわれている名所です。

 本年も賀茂の祀りがまじかに迫りました。