遷宮奉祝事業
 鴨社資料館―秀穂舎復元工事
 
 この欄で、何度か、取り上げましたが、資料館秀穂舎(しゅうすいしゃ)のことです。と言うのは、工事が長引き四月完了予定を更に延長しなければならなくなりました。
 実は、江戸時代以降の増築部分を全て取り壊し、原形に近い状態に戻しました。ところが意外に、増築部分が多くまた、元の建物を改造して後の時代に増築を繰り返すなど、使用に応じて変造するなど、かなり思いのままの改造であり、残存部分のみにては、下鴨神社の社家の家の間取りなどの特徴がわからなく、特に、絵所預の家としての姿がみえにくく、鴨の社家の資料とするにはむつかしい状況となりましたので、おもいきって本体の大部分を取り壊しました。と言いながら下鴨神社の社家組織の絵所預の建築様式には、これと言う決まりがあったわけではありません。ただ、下鴨神社の社家の家の設えについて言い伝えがあり、それによって復元工事をおこないました。
 下鴨神社の組織のなかで、どのような立場であっても、非常時には、弓矢をもって、鴨社公文所へ駆けつけねばなりません。年中の祭事には、直接祭祀奉仕に携わらない立場であっても、定められた装束を着け社頭へ出なければなりません。
 ですから、各家には、必ず禊場(みそぎば)があります。祭事の行粧や祭祀に直接携わらない立場の者は、家で遥拝をしなければなりません。従って、各家には、必ず神棚の間があります。家ごとに、暮れから正月にかけて歳神を祭るため門口には、年木(円錐形のヒモロギ)を立てます。また通用口の脇門には、常設の年木の常録樹(神部・かんべ・祭祀のみに携わる氏人の系譜はウバメカシ。祝部・はふりべ・朝廷、国家、人々の祈願に携わる氏人の系譜はモッコク。) を植えます。
土解祭(どげのまつり。としごいのまつりのこと。『延喜式』以降は、祈年祭。) 節(せつ。年中四度の解除神事の祭事)。みあれ。官祭。行幸式日。御参籠御幸。賀茂斎院の祭事。国祭。氏神の祭り。卯の日の神事、等々、を各家でも家の祭りとしておこなっていましたから、神事用の間、けはいの間(装束の間のこと。) 等々が間取りのなかに設けられていました。
今回、忠実に復元することにいたしましたので、工事に手間取り再々延期せざるを得ませんでした。
 


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