霧の季節

  
 今期の御遷宮事業の一環として今年は、唐崎社紅葉橋遙拝所の再現整備事業にとりかかりました。
 まだ全容は完成していないのですが、そうそうに、立秋の前夜が唐崎社の例祭で深夜、紅葉橋から遙拝をいたしました。
 紅葉橋は、奈良の小川に架けられた橋で、わずか八十メートルほど遺っている旧御蔭通りの橋です。今では、その歴史は忘れられ、唐崎社さえ知る人はいないのではないかと思います。国文の源氏物語の解説を読んでいると、なかには大津の唐崎に賀茂の斎王の宮が参拝されたと記述しているのをみたことがあります。学者でさえこの通りですから地元の鴨人が知らないのも当然かもしれません。「唐崎」は市内南区にもその地名が遺っています。ほかにも鴨川、淀川の流域にみかけます。『広辞苑』をみると「滋賀県大津市、琵琶湖南西岸にある景勝地。」と記しています。すこし説明不足のようなきがします。
 「唐」は、よそから、とか、ほかから、もう一つのという意味です。「崎」は、先、で,端、とか、津、という意味です。ここの「唐崎」(辛崎)が歴史に登場するのは平安時代の史料に『三代実録』元慶三年(879)九月二十五日のくだりに、この夜、鴨川の辛橋に火災があり大半が焼ける、とあります。同じ頃の史料『西宮記』天慶二年(939)四月十四日のくだりに、賀茂祭は、終日大雨で第十三代・賀茂斎王韶子内親王は、鴨川が氾濫して渡れないので社参ができなかった、とある「渡れない」のが「唐橋」です。また『永昌記』嘉承二年(1107)四月十七日、今日は賀茂祭、白河院御見物のため、鴨社神舘御所の下の橋まで御幸される、とある橋のことです。
 また「唐崎社」については、『左経記』長元八年(1035)四月二十五日のくだりに第十六代・賀茂斎王・選子内親王の女房がいうには、斎院を去り給うときの例として、辛前社(からさきのやしろ)にて御祓いがある由。『中右記』寛治五年(1091)十月十五日、第二十二代・齋子内親王賀茂斎王退下の解齋のこと。『同記』長承三年(1134)九月二十五日、第二十九代・禧子内親王、斎王退下解齋の神祭について詳細な記述がみえ、唐崎社は、官祭の解齋(御祓い)の社であったことがしれます。
『山槐記』応保元年(1161)九月二十六日、第六回・御祖社式年遷宮とあり、そのため平安末期の禰宜・祐直の記した『鴨御祖神殿等事』に「舘舘御所」の「末社唐崎社 拝殿、庁屋、着到殿、鳥居二口、瑞籬付中門、橋二所」とあります。
 ところが『親長卿記』によると「文明二年(1470)六月十四日、乱の兵火によってことごとく焼亡したとあります。以来、氏神のみたらしの池の井上社へ合祀され、この旧地を遙拝することとなりました。
 この度、唐崎社紅葉橋遙拝所の整備復旧にさいし、連日朝参りをしていたところ、朝夕は、秋の気配を感じながら三十度を越える気候にもかかわらず、遙拝所の瀬見の小川から川霧が立ちのぼり一層神秘な光景に出合っています。




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