葵祭の斎王さまのお社

                 
 今年も間なしに、かげろうたつ都大路を牛車の音ものどかに華やかな行粧が練ります。なかでも、斎王代をはじめ女人列の優雅さは、王朝風俗の再現として注目の的になっています。
斎王さまのことについては、鎌倉時代の『百練抄』という史料の仁平元年(一一五一)七月四日のくだりに「一院供養河東御所内中嶋御塔」とあります。「一院」とは、鳥羽院(法皇)のことです。「河東」とは、洛中の宮中からみて、鴨川の東の御所すなわち、糺の森の鴨社頭賀茂斎院御所のことです。その御所の池庭の中嶋に祀られていた「賀茂斎院歴代斎王神霊社」のことです。そのお社で祭事がおこなわれた記録です。
斎王さまの制は、弘仁元年(八一〇)四月、に設けられたと『一代要記』という史料にあります。初代の斎王さまは、有智子(うちこ)内親王さまでした。以来、鎌倉時代の禮子(いやこ)内親王さまが建暦二年(一二一二)九月四日、退下されるまで約四百年間、三十五代にわたってお出ましになられました。下鴨神社の糺の森には、三十五代の斎王さまの御神霊社がお祀りされています。
お社は、鴨社頭賀茂斎院御所が応仁・文明の乱の兵火により文明二年(一四七〇)六月十四日、焼亡(『親長卿記』)してしまいました。この乱によって御本宮も行幸や御参籠御幸のときの行在所となる鴨社神舘御所、糺の森の七十パーセントが焼亡しました。その後、鴨社神舘御所跡に斎王さまのお社は御再興になりましたがまたまた、昭和初年、京都市へ下鴨地域が合併したことにより、新たな都市計画のため他の鴨氏の社とともに糺の森の鴨社神宮寺跡へ移転し、鴨氏の社と相殿としてお祀りされています。
ところが、昭和三十四年・第三十二回式年遷宮を実施されるにともない関連事業として両社の御再興が計画され、新殿造営のため社殿を撤去されたものの、戦後の混乱期により御遷宮が延期して御再興をみずまま今日に至っております。そのため、今回の第三十四回式年遷宮事業で御再興の予定です。
御祭神は、現在摂社三井神社、末社へ御動座になっています。

 


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