遷宮事業―

河合神社の修理



 河合神社の社殿修理には、これでまで二十年ほどかかっています。ようやく全体の八割の修理と防災、防犯工事を完了しました。ところが最初に手掛けた社殿の修理が早や補修しなければならない状況にあります。現在は、幣殿東西渡廊の桧皮葺き替え工事にかかりました。   

 この社殿は、阪神淡路大地震の被害を受け大修理を要する社殿です。 震災直後とりあえずの修理をしましたが限界となり、この程の遷宮事業の計画の基に本格的な修理をおこなっています。このあとの大事業となるのは、社殿周囲の環境整備です。河合神社社殿修理と同時に進めてきた北側に隣接する鴨社神宮寺跡の整備です。この事業もようやく神宮寺跡の発掘調査完了のみとおしがつきましたので数年かけて整備とともに残る社殿の修理をいたします。

 河合神社は、『延喜式』に「鴨河合坐小社宅神社」かものかわいにますおこそやけのかみのやしろ・とある神社です。

小社宅「おこそ」・と言うのは、『日本書紀』の天武天皇十三年(六八四)十月壬辰のくだりにある「社戸」こそへ・と同意義で、今日の神社のことを言い表しています。まだこの時代、神社と言う語は、『日本書紀』にこの例の他に一例。『古事記』に一例あるのみです。古代の神祭りの様子を伝える貴重な例となっています。

『文徳実録』天安二年(八五八)八月十九日のくだりに「在山城國下鴨河合神預名神」やましろのくにのしもかもにあるかわのかみはみょうじんにあずかる・とあります。『延喜式』に定められた社格の神社で名神祭にあずかる神である、と記され「河合神社」との初見ではないかと言われています。

第六回・応保元年(一一六一)式年遷宮の記録『神殿舎屋之事等』には、本殿、勅使殿、着到殿、北面屋等など数拾等の社殿が記されていますが、現在の社殿配置になったのは、記録によると第二十一回・寛永六年(一六二九)式年遷宮以降と察せられます。
明治初年、神社制度改革まで、旧暦十一月、卯の日の神事などに勅使が差遣されるなど本宮と同様にあずかっていた神社です

 

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