奥の廻廊が完成しました
          ―北浦の復旧
 
 糺の森の桜の原種・イヌ桜が満開です。とくに今年は、たくさん咲きました。ネコヤナギの花に似たウスミドリの花びらが青空を仰いでほほえんでいるようにみえます。
 四月二十七日、後一年大祭には、ご参列いただき有難うございました。この一年間で伝統の御遷宮祭事は、すべてご奉仕いたしました。ご清援を感謝申し上げます。
 しかし関連の事業は、まだまだ続きます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
 古い時代、「北浦」(きたうら)と呼ばれていた御本宮の北側の廻廊が七十年ぶりに復旧竣工しました。
 キタウラの「浦」は、無文字時代の言葉であて字です。浦島太郎のウラもまたそうです。奥が深い、とか、御蔭・ミカゲのカゲという意味で古い時代、人々は神さんのことを表していました。したがって、奥の神さんへお参りする廻廊・ミチ、ということです。
四月二十九日の植樹祭の日から御遷宮奉祝祭事「石持ち」神事がおこなわれるにつき北側の廻廊より、御本宮の斎庭(ゆにわ)へ御白石をお持ちいただき、二十一年一度の特別拝禮をしていただいております。
この廻廊は、御本宮の北側の拝所への参道のことです。戦時中、御本宮の戦災防火のために撤去廃止されていましたのを今回の御遷宮事業により糺の森整備事業の一環として復旧しました。今後は、祭事のうえでも防犯防火のために大きく役立つものと考えられます。
先年、この付近の発掘調査で古墳時代の御稲(みしね)倉跡が出土しました。古代はイネも神さんの依代(よりしろ)でした。
また、廻廊の両側に最近まで氷室(ひむろ)がありました。この氷室は、湧水を凍らして年間の祭事の御供えの御氷水を調整するところで水分神(みくまりのかみ)が祀られていました。
常に祭事等のおりの参道でした。また江戸時代、北浦文庫と称し鴨社学問所の資料館がありました。廃止以降は、北浦の祭事も拝禮も中絶してしまいました。北浦文庫はその後、鴨社学問所の教授貫名菘翁(ぬきなすおう)の蓼倉文庫(たてくらぶんこ)と一緒になりました。
当神社は、独特の社殿配置構造が古代よりされていました。それは、まだ神社に御殿という社殿が成立していない時代、糺の森が神々の鎮まる依代とされていた時代の配置が近世にいたってもみられました。明治二十七年(一八九四)、鴨社学問所絵所の絵師が描いた『鴨社頭絵図』に遺制をみることができます。北浦の廻廊は、その参道として描かれています。今後は、周辺の植栽の復旧、旧跡の復元などをおこなっていく予定です。ですが、当面は、環境の保全と保護を重点としなければなりませんので特別公開の制度を設けたいと思っています。
しかし現在は、境内となっている他は、全てこのあたり一帯が開拓され宅地となっています。「北浦」という地名まで失われてしまい人々の記憶にもなく話題にさえあがることがありません。
 
 

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