宮司の挨拶

神田(しんでん)の御祓(おはらい)

R1-07-06 / 246話

 先日、今上陛下の大嘗祭(だいじょうさい)に関して悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)の御祭に御供えする新穀を作る田圃をきめるため亀卜(きぼく)(古い時代の卜いの方法。亀の甲を焼いて出来た裂け目によって物事を決める)がおこなわれ主基殿の御祭の御供えを耕作する田は、京都府ときめられた、との発表が宮内庁からありました。早々に、神社庁を通じて連絡が下鴨神社へあり、洛北支部の神職の方々が下鴨神社の神田において御祓がおこなわれました。

 すでに、下鴨神社の神田は、田植えはおわっていました。田植えにも神事がおこなわれていましたが、さらに丁重に御祭がされたのです。

 下鴨神社の神田は、由緒があり正倉院文書に既に記されている田圃です。近くに、葵祭の二日前におこなわれる御蔭祭(みかげまつり)の御蔭神社の神田です。

 「正倉院文書」天平宝字五年(761)八月二十七日のくだりに「下鴨 馬養」あての文書に「謹啓 可刈御田事 合二町之中 南牧田一町 殖稲依子  北牧田六段 殖越特子 四段荒」とあります。「牧田」は、当時の田の字の名で「殖稲依子」「殖越特子」は、籾(もみ)の名です。この時代の籾については、研究者はすでに十五種を発表されています。この二種もその中ですが、無文字時代からようやく文字が一般化したころで読み方が定かではありません。あて字があてられているだけです。今日の米の原種であることには間違いないと思われます。