下鴨神社 宮司
新木 直人あらき なおと
賀茂御祖神社(下鴨神社)宮司。昭和12年、賀茂御祖神社職舎にて生まれる。京都市伝統行事伝承者。京都市伝統芸能功労者。全国賀茂社連合副理事長、社会福祉法人迦陵園後援会長、京都創生100人委員会委員、葵祭行列協賛会理事、他多数の役職を務める。
R2-01-06 / 252話
令和の御代 最初のお正月です 本年も 何卒宜しく お願い申し上げます 令和改元奉祝和歌献詠 立ち返る令和の御代を言祝ぎて 鴨の川風波静かなり 文化時報新年号新春俳壇 みあれ山夕居る雲の初日待つ 『延喜式』や?…
R1-12-09 / 251話
江戸時代、享保年間、梨木祐之という本宮禰宜がいました。『日本逸史』『大八洲記』等々、たくさんの資料を編纂したり将軍綱吉に『日本書紀』など古典を講義したりした人物で鴨社学問所の教授でもありました。なかでも鴨社の神道説を梨木流神道説と称して解いたことで知られた神主であり?…
R1-11-01 / 250話
後桜町天皇から後桃園天皇へ譲位された明和7年(1770)ごろ、 上皇のおそばに使えた公卿の唐橋在煕(からはしありひろ)も後桜町上皇の院庁へ赴くこととなりました。 そのころからの在煕の日記、寛政9年(1797)8月1日をみると、一日の月並みの神拝のことなどとともに、…
R1-08-21 / 249話
賀茂あるいは、鴨社といえば、葵祭、みあれ神事、式年遷宮それに、行幸式日の制、参籠御幸の制、賀茂斎院の制等々、もうけられていました。即ち、官制の賀茂御祖神社の宮中側の史料のことです。 ここで言う「史料」とは、略して、鴨社に関わる宮中の史料のことです。それぞれの儀式、…
R1-08-06 / 248話
賀茂御祖神社史料のうち鎌倉時代中期から桃山時代までは、抜け落ちたように空白になっています。その原因は、幾通りか考えられますが、最も大きな理由は、平安時代の君主制から鎌倉時代の武家制度への変革でしょう。その上、戦乱の世であったこと。洛中洛外に起きた激しい戦闘により多?…